こんな親が嫌いだ
子供が生まれて、改めて「親」って何かと考えることが多くなった。
子供が生まれる前には「こんな親にはなりたくない」と思う親のモデルがあった。
失敗と言う親
奥さんにも何度か言ったことがあるけれど、自分の子供に対して子育てに失敗したと言う親は大嫌いだ。冗談だとしても最低だ。
自分自身も
「初めからこんな子だとわかってたら生んでなかった」
と言われたことがある。
親から愛されていた実感はあったが、やはり言われたことに関してはショックだったし、自分は親の望んだような人間になってない、失敗したと言われたような気がした。この言葉はおそらく忘れることはないと思う。
子育てに失敗したと言う親に聞いてみたい。
『じゃあ、その失敗したというお子さんはなんなんですか?失敗作ですか?』
それで「失敗作だ」という親なんていないと信じてるし、いたら子供に詫びて命を絶てと言いたい。
別に子供が失敗作だと言ってるわけじゃないのはわかってる。自分の力不足で、知識不足で、と自分を責めている言葉なのだと理解はしてる。
してるが、そんなもん心の中で勝手に反省してればいいだけで、子供や他人の前で言って良い言葉じゃない。
子供は物じゃないし、人生だって親の物でも、自己実現の道具でも、ご近所や親類への自慢ツールでもない。
「こんな子になってほしい」「こんな人生を送ってほしい」思うのは自由だし、実際自分も子供が生まれて「あぁ、どんな子になるのか。こんなこに育ってほしいなぁ」と思うものはある。
ただ、たとえそうならなかったとしてもそれは『その子』なのであって、けして親の子育ての技量不足、選択ミスの結果の『失敗ルート』ではない。
親が歩ませたい道がその子の幸せじゃないし、所詮自分一人の人生しか経験したことがないのだから、子供といっても他人の幸せがこうだなんてわかるわけもない。
子供に幸せになって欲しいと願うのなら『失敗した』なんて言葉を親は使うべきではない。
…
さてさて、自分の子供が成人する頃どんな子に育っているのか。
自分はどんな親でいるのか。
とりあえず自分はここで書いた、これから書くような「嫌いな親」にはなってて欲しくないなぁ。
0コメント