子育ては親のエゴ
こうなって欲しいなんてクソくらえ
この前子供には楽器弾いて欲しい!って記事を書いたばかりだが、そんな自分に向けてあえて言おう
『子供にこうなって欲しいって思う親の思いなんてクソくらえだ!』
強くてニューゲーム?
こんな子に育って欲しい。あんな子に育って欲しい。親なら当然思う感情だし、それを否定するつもりはない。
ただ、その『こうなって欲しい』『ああなって欲しい』って思うその人物像って何だろうと考えると 理想の自分 に行き着くんじゃないかと思っている。
こうなって欲しいのその思いの真ん中には「子供のため、将来のため」という言葉があるのは否定しない。ただ、その思いの薄皮を一枚剥いだそこには「こうしておけばよかった。ああしておけばよかった」という自分の人生の後悔があるように思えてならない。
子供には良い人生を歩んで欲しい。成功して欲しい。そんな思いは親なら当然あるだろう。
「自分はあの時あんな失敗をした。この子にはその失敗を味あわせたくない」→「だから失敗しない方へ行かせよう」
「子供の頃にこれをしておけば今の自分はもっと成功していた」→「だからこれをやらせよう」
一見良い親に見えるし、良い子育てに見える。
が
『それって本当に子供のため?』
自分のなりたかった理想の自分を子供に押しつけて、子供のためという大義名分のもと、まるで子供を自分の人生のやり直しかのように人生のレールを敷いていないか?
所有権
子供の将来に対して親が責任を持つ。
個人的には子供とはいえ“他人の人生に責任を持とうなんて無責任”なことを言いたくはないだけれども、心持ちとしては理解する。
それが行き過ぎた結果、まるで子供の人生すら自分の所有物かのように考えているような考えを持った親がいるように思えてならない。
その結果が、別の記事で書いた『子育てに失敗した』につながっているように思う。
子供の人生は子供のものだし、どれだけ顔や性格が似ていようが別人である。
あなたの人生のやり直しでもない。
親のくだらない理想を押しつけるな。
押しつけるのは金だけにしろ。
金はあっても困らんからな。
と、思っている今現在。
書けば書くほど自分の首をしめてる感がある…。
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